釧路の鉄道少年

<昭和50年代/釧路の鉄道少年> 平成27年3月3日よりスタートしました♪ 当方が幼少期から中学生ぐらい(昭和40年代半ばから昭和50年代)までの北海道釧路市周辺における鉄道写真を中心にご紹介していきます。基本的に子供時代の当方が撮影した写真ですのでお見苦しい点は多々あるかと存じますが何卒ご了承下さい。必然的に写真のストックが無くなれば更新が停止してしまうブログですので、毎回1枚ずつ「つぶやき」程度にのんびり更新していきたいと思います。

絵はがき・古写真

<昭和50年代/釧路の鉄道少年> 平成27年3月3日よりスタートしました♪

当方が幼少期から中学生ぐらい(昭和40年代半ばから昭和50年代)までの北海道釧路市周辺における鉄道写真を中心にご紹介していきます。基本的に子供時代の当方が撮影した写真ですのでお見苦しい点は多々あるかと存じますが何卒ご了承下さい。必然的に写真のストックが無くなれば更新が停止してしまうブログですので、毎回1枚ずつ「つぶやき」程度にのんびり更新していきたいと思います。

絵はがき・古写真/釧路駅 - No.01

えー写真のネタも無い、、、というか、残りはネガになってしまうので、ネガを整理・確認する気力が無いw という事で、とりあえず「絵はがき・古写真」というカテゴリを作ってみました。当方の絵はがきや古写真などのコレクションから鉄道関係絡みのものをピックアップしてご紹介していきたいと思います。まぁ、とりあえず不定期更新になりますが宜しくどうぞ〜w

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昭和20〜30年代と思われる釧路駅舎正面です。現在の位置では二代目の駅舎になるでしょうか?ボンネットバスが当時を偲ばせますが、東邦交通なのかどうなのか。手前の門のような構造物ですが、昭和36年の民衆駅開業後もキリンのような門らしき物が存在しましたよねw 

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「釧路鉄道管理局史」より引用

あ!コレコレ、キリンの門w 確か釧路の観光協会か何かの絡みで設置されていたように記憶しておりますが 、今となってはよくわかりません。つーか、、、キリンなんでしょうか?w

他の著作物より引用している画像等におきまして
使用に際し著作権等の問題が生ずる場合にはご連絡をいただければと思います。  

著作権法 第三十二条
1
公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、
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2
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ただし、これを禁止する旨の表示がある場合は、この限りでない。 
 

絵はがき・古写真/太平洋炭礦 - No.01

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昭和20〜30年代と思われる釧路臨港鉄道/春採駅の古写真です。南側の丘の上より北西方向を撮影しています。まだ旅客営業をしているように思われ、中央の駅舎には旅客用のホームも確認できます。白い煙が上がっている部分は機関庫と思われ、奥には石炭車が並んでいます。

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駅舎とホーム部分の拡大です。中央に蒸気機関車がいますが、何号機かは確認できません。

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 画像:国土地理院
1977年の航空写真では手前に並んでいる三棟の倉庫や、奥の体育館?(三角屋根)もまだ確認できます。現在では倉庫の辺りは石炭集積場に、体育館の辺りは商業施設になってしまったようですが、機関庫の位置は主がディーゼル機関車になった今でも変わりがないようです。

絵はがき・古写真/太平洋炭礦 - No.02

昨日更新した「釧路臨港鉄道/春採駅」ですが、駅舎及びホーム部分の拡大写真を掲載しましたのでご覧下さいませ。そしてこの後も太平洋炭礦(釧路臨港鉄道)ネタが若干続きます。

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釧路臨港鉄道/城駅の古写真です。城山駅が開業したのは昭和12年で、駅名表示や改札口の表示が右書きになっている事から、たぶん戦前の写真ではないかと思われます。ガソリンカー?らしき車両が停車しておりますが、時代が古すぎて手持ちの資料では全く解明不能ですw

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改札口の拡大です。駅名は「まやろし」、出口は「口出」、駅長は「長」になっています。


上記の写真は入手経路もすでに忘失してしまいましたが、
この写真自体は最近にプリントされたもの(複写)のようですので、
著作権等で問題などがございましたらご連絡をいただければと思います。 

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画像:国土地理院
昭和22年の航空写真ではこの辺(くすり橋のたもと)ですが、終戦からまだ2年しか経過していないので街もガタガタです。。。現在は「釧路川リバーサイド左岸緑地」みたいですね。
©2016 Google Map  

絵はがき・古写真/太平洋炭礦 - No.03

東京地方は秋雨前線による長雨が続いておりまして、本日も事務所に引き蘢り状態です。。。つー事で、3日連チャンで更新してみます。そーいや釧路の夏は曇天続きが多かったなぁ。

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たぶん、、、「国鉄・釧路臨港鉄道/東釧路駅」と思われます。昨日更新した「釧路臨港鉄道/城山駅」の写真と同時に入手したものですので、こちらも戦前のものと思われます。右端の駅舎と構内踏切、国鉄ホームの位置関係などは基本的に今と変わらないような気がします。

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拡大です。手前のガソリンカー?が停車しているホームが臨港鉄道、奥の屋根(小さい方)が官鉄ホームと思われます。17m級客車は留置でしょうか?少なくとも6両が確認できます。

追伸
「釧路市地域史料室編/写真絵葉書に見る遠い日の釧路」に上記の写真が掲載されており「城山駅構内(昭和12年頃)」という表記になっておりました。 ただ、当方としましては駅の構造や周辺の状況からあくまでも「東釧路駅」と判断致しますがいかがでしょうか、、、?
 

上記の写真は入手経路もすでに忘失してしまいましたが、
この写真自体は最近にプリントされたもの(複写)のようですので、
著作権等で問題などがございましたらご連絡をいただければと思います。 

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画像:国土地理院
昭和36年の航空写真ですが、駅舎は昭和32年に改築(現在の駅舎?)されております。国鉄ホームの屋根も、白い部分が新設されたもの(現在の屋根?)、その左隣の短い屋根が上記写真のものではないか?と推測します。昭和38年には臨港鉄道の旅客営業が廃止となります。

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画像:ウィキペディア
ウィキペディアの画像ですが、グーグルマップの最新と思われる航空写真を見ると、屋根の形状や位置関係がこの写真のものから変わったように思われるのですが、どうなのでしょうか?

絵はがき・古写真/太平洋炭礦 - No.04

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昭和20〜30年代のものと思われる太平洋炭礦/興津坑の古写真です。興津坑は昭和24年に開坑しているようです。出所不明の写真ですので、一応人物の顔はモザイク処理しております。

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 画像:国土地理院
昭和36年の航空写真ですが、後方の塔?が、右の三角屋根の倉庫?が、線路()の位置なども考慮すると、撮影場所は辺りでしょうか?だから何なんだという話ですがw
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PROFILE


アカトラ(三浦正人)

昭和43年 北海道釧路市生まれ
東京都目黒区在住

グラフィックデザイナー
(有限会社アカトラ)

ミリタリー・ショップ運営
(エフイー・ミルサープ)
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